そして、夜は桃唄309プロデュ−ス「貝殻を拾う子供」 
また見に行きました。 
だって本当にイイんだもの! 
上演台本を購入するべきだったと後悔中。 
 
いっぱい好きなセリフがあるんですよ。 
一番は「どんな時でも楽しむの。楽しめる事を探すの。 
きっとあるはずだから、探すのが大変な時もあるけど…」 
 
それから 
「君と僕は違う人間なんだ。だから世の中は楽しいんだ」 
自分と同じ人間は居ない。自分は自分のままでいて良いし 
また、自分と違う人間を認めて尊重してあげたい。 
 
「”パンドラの箱”で一番の最悪がなんだったか判るかい!? 
 最後まで人間の手に残った”希望”だよ」 
「”パンドラの箱”に”希望”が残ったから、理想を信じられるんです」 
 
”光兵器”によって何万もの人間が死んで 
”光”を見つけなければ良かったんだ。”光”を見つけた事が罪なんだ 
悪い事だったんだって言う人が居るのね。 
でも私はそうは思わない。 
だって人間は”考える葦”なんだよ。 
知りたいと欲求し、考えたから進歩してきたんだもの。 
人間はそういう生き物なんだもの。 
 
一緒に観た方は「クローン人間」の話をして 
科学者は手におえないって言ったけれど 
確かに倫理的に怖い話ではあるけれど 
でも、知りたいって欲求が止められないのも判るし 
私はソレ(知りたい欲求)が悪い事だとは、どうしても思えない。 
私は知らないで生きているよりも、知っていたい気がする。 
知って後悔したい。 
 
このお芝居は、「知る」欲求も大切だけど、ちゃんと「考える」ように 
警告しているんだと、2回目にして理解したんですが、 
私は、ずっと三浦綾子さんの小説「氷点」のヒロイン陽子の遺書を 
思い出していて、 
細かい部分は忘れちゃったけど、人間は産まれた時点で罪を背負っているって。 
(ヒロイン陽子は、殺人犯の娘かもしれないという出生の秘密を知り 
 もし殺人犯の娘じゃなくても、自分は罪深い生き物だと考えるの) 
原罪。 
私も人間という生き物そのものが罪深い生き物だと思う。 
私は生まれて来て良かったなあ、と思っているけれど 
生まれた時点で、罪を背負っているんだと言う事を認識させられました。 
 
(別に私は特別に宗教を持っている訳ではなく、 
 たまたまキリスト教の教えに触れる機会が多かっただけなんだけど) 
キリストが、人間の罪を背負って死んでくれたという話だけれど 
その事により、人間は”許され””生かされている”らしいけれど 
21世紀になって、キリストが背負った罪以上の罪を 
人間は犯してしまっているように思えます。 
 
「間違えてたら、そのまま悪いままにしないで、良くしてあげればいいのよ。 
 良い風に出来る筈なのに、悪いままにして放っておくなんて、 
 逃げているのよ。」 
「間違えたら、それを忘れない事。二度と同じ過ちを犯さないこと。 
 その二つを背負って生きていくんです。」 
 
写真は、秋の空です。 
毎日あっついけど、朝夕はちゃんと秋の空が覗いていますよ(*^_^*)