『蜜の味/三つの味』

クレネリゼロファーストの『蜜の味/三つの味』を見ました。
http://www.kureneri.com/
クレネリは、作家も演出家も固定役者も全て女性というユニットで、前回『空洞満月』は、女性ならではの視点と繊細さと毒がある作品でした。

今回の『蜜の味』も前回同様、いやクレネリとしての最初の公演が『蜜の味』で、今回は再演らしいので、当然でしょうか。やはり女性らしい何処か毒を含んだ作品でした。

舞台上には一つのベット。その上に手足を縛られて、口にはガムテープを貼られた女がもがいている。「ただいまー」と声をかけて、コンビニ弁当を持って入ってくる男。

風俗嬢に入れあげ、毎日通い、しまいには彼女の後をつけて、彼女の部屋の前で襲い、自由を奪った男。しがない社会科の高校教師らしい。「どうしても君が欲しかったんだ」

2週間後、彼女は部屋の中で自由にしているが、部屋からは一歩も出ようとしない。「だって、私はあなたに監禁されているんだもの」
彼女が自分の物になった=恋人同士になった、と思っていた男は、彼女の生い立ちや考え方が重くなってくる。逃げようとする男を今度は彼女が縛り上げ、拘束する。

「私はあなたに縛られて、あなたに”欲しい”と言われて、初めて生きていいんだと思ったの。嬉しかったの。だから、今度は私があなたを”欲しい”の。縛られている気分はどう?」

観劇中、思い出したのは岩井俊二監督の『undo』
undo [DVD]
山口智子扮する女性が“強迫性緊縛症候群”(本当にこんな病気あるの?)にかかり、豊川悦司扮する恋人に「縛って」「もっと強く」「もっと」と要求し、ロープでぐるぐると巻かれていく…。(芸術的な縛り方でもあるんだけど)

その映画を見たときに彼女の「縛って」が「愛して」に聞こえていた。どんなに縛っても、彼女はスルリと居なくなってしまう。彼女は、彼の愛が不安だったのではないかと思ってみていた。
演劇と共に久しぶりに思い出して、自分自身が何処かへ(他の男のところへ?)行ってしまいそうだから、強く縛って欲しかったという事もあるよなぁ、と思った。

ま、大分話は逸れてしまいましたが、恋愛とは、程度の差はあれ、お互いに縛りあうものであると思う。強く縛られるのを嫌がる人間もいるけれど、強く縛られることで、相手の愛を確認できたり、自分の存在価値を見出す人も居るということです。


『三つの味』は、『蜜の味』の彼女が引っ越した後の部屋にハウスクリーニングの見積りに来た男とその部屋に住みたいとやってきたらしい若い男とマンションの大家の息子の男3人が一部屋で繰り広げる笑いと友情と冒険(?)の話でした。

男3人のうち一人が、実は幽霊であるために「生きている」ってどういうことなんだろう。「生きている」と自分は思っているけれど、本当はもう死んでいるんじゃないだろうか?それでも、生きている。そんな話でした。

書いていて、部屋が一緒ということだけでなく、自分の存在について考える点が、共通テーマであったことに今、気が付きました。

あなたは、今、生きていますか?
「生きている」って実感できますか?