「リトル・ターン」

リトル ターン
五木寛之訳の「リトル・ターン」をお風呂場で、半身浴をしながら音読してみた。

綺麗な絵と共に突然飛べなくなってしまったアジサシの心の変化を追う短いお話なのだが、やさしい話のようでいて、実は哲学的な難しい話。

黙読しているとサラサラと流し読みしてしまって、自分の中に物語が入ってこないので
声を出して読んでみました。 浴室のエコーが心地よく響いて、読んでいて気持ちよかった(笑)

夏に同じく五木寛之訳の「かもめのジョナサン」を読んでいた。(実は第一章だけ読んで、その後、本が行方不明中) オウム事件の某被告が、出家する時に親に「かもめのジョナサン」を渡したというのが有名な話で、私もいつか読んでみようと興味を持っていた作品である。 第一章しか読んでいないけど、「より高く飛びたい」と試行錯誤するジョナサンの話には感銘を受けました。

この「リトル・ターン」は発売当時、その「ジョナサン」と比較され、かなり評判を呼んだ本なのです。

巻末に五木寛之氏が自身で両作品の違いについて書いていました。その文章に実は一番ウルウルきていたりしました(笑)
五木氏は「リトル・ターン」を“ひきこもりの物語”と書いていました。


「きみは飛ぶ能力を失ったんじゃない。
 ただどこかに置き忘れただけだ」


飛ぶことに疲れた友達にそっと贈りたい本です。